虐待で5回保護 かわいいと言われる【阿部紫桜(あべしおん)】とは?

阿部紫桜

今回は児童虐待によって5回も一時保護所された阿部紫桜(あべしおん)さんを特集します。

阿部さんは児童虐待を受けた経験から、現在は児童虐待防止の活動を精力的におこなっており、各メディアにもたびたび登場しています。

阿部さんの記事を作成していくなかで彼女の人生は、そのかわいらしい顔からは想像できないぐらい辛い経験をして今にいたることがわかりました。

そんなつらい経験をした阿部さんの原動力とはなんなのか?この記事で迫りたいと思います。

最後に阿部紫桜さんのかわいらしいSNS画像もあります。ぜひ最後まで一読ください。

阿部紫桜(あべしおん)プロフィール

出典:CHANTO WEB

阿部 紫桜(仮名)は、2002年福島県生まれの22才。(2024年現在)

小学3年生の時に母親のパートナー(義父)から心理的、身体的な虐待を受け続け、小学5年生から4回一時保護されたのち、児童心理治療施設で中学生活を送ることになる。(一時保護は合計5回)

そんな経験から、現在は兵庫県内の福祉系大学に通いながら、「一般社団法人Heart resQ理事」や「IFCA日本法人」での活動を通して児童虐待防止活動などをおこなっている。

また、2023年4月には児童虐待を経験した若者の声を集めたドキュメンタリー映画「REALVOICO」にメインキャストとして出演。

この「REALVOICO」は公式サイトとYouTubeで無料公開され、毎日新聞や朝日新聞など大手メディアで報道され注目を集めたことで話題となる。

出典:YouTube「REALVOICE

児童虐待の始まり

小学5年生のころの阿部紫桜さん 出典:CHANTO WEB

2002年に福島県で生まれた阿部紫桜さんは、小学3年生までは普通の生活を送っていました。

ただ両親が離婚したため、父親の代わりに父方の祖父と祖母がよく一緒に過ごしてくれたそうです。

そんなごくごく普通の生活にも変化の足音は近づいていました。

震災で生活に変化が…

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の大地震が東北地方を襲いました。東日本大震災です。

阿部さん達は震災で被災したため、母親の実家へ避難。しかし場所は「福島県」。母親は福島に残りたかったようですが、祖父から「お願いだから避難してくれ」と頭を下げられ、小学3年の4月に母親と一緒に和歌山県に引っ越す事にまりました。

しかし福島出身ということもあってか阿部さんはいじめに合います。結局和歌山に引っ越してきてから半年後の10月、大阪に引っ越すことになったのですが、この時から母親のパートナー(義父)とも一緒に暮らすことになりました。

義父との暮らしで生活が激変

義父はしつけが異常に厳しかったようです。お茶碗を持っていない、返事をしないなどの理由で阿部さんは怒鳴られて叩かれました。まだ子供なので泣いてしまうのですが、泣くとまた怒鳴られ叩かれの繰り返しだったようです。

空腹に耐えられず万引きを…

義父の厳しいしつけの一環で、阿部さんは食事がもらえない日が増えていきました。

お腹が減って耐えきれなくなった阿部さんはついに、小学5年生のときに初めて万引きをしてしまいます。

その後ご飯をもらえなかった日は万引きをするようになった阿部さん。しかしそんな日々が続くわけもなく、阿部さんは店員に見つかり警察に行くことになります。

警察で虐待を疑われ1回目の一時保護

交番で警察官は、阿部さんの体にある傷やあざに気づき「これどうしたの?」と聞いてきました。阿部さんは「こけた」と答えたため、警察官が虐待を疑って警察署に連れて行かれることになります。

事情聴取が終わると「お父さんとお母さんのところから避難して別の場所で暮らしてもらうね」と言われ、初めて児童相談者の一時保護所で過ごすことになります。

過酷だった一時保護所

出典:姫路こども家庭センター

一時保護所は虐待された子だけではなく、非行が原因で緊急保護された子供も多かったそうです。

職員もそういった子たちに反抗されないようにするためか、見下すような態度で特に厳しかったといいます。

また、誰か一人でもルールを破った場合は全員が反省文を書かされるようなことも。阿部さんはそんな状況の中追い詰められて、虐待でつらかったときのフラッシュバックが起きたこともありました。

その後義父は「もう叩かない」と児童相談所に約束したことで家に帰ることになった阿部さんでしたが、1週間後には叩かれ「やっぱりダメだった…」とショックを受けた阿部さん。

母親もしょっちゅう泣いていて家庭崩壊状態。母親も精神的に不安定となり、阿部さんの首をしめ「ころしてやる」と言われたこともあったそうです。

結局小学5年生から6年生のあいだに、阿部さんは児童虐待によって4回一時保護されることになります。

一時保護所から児童心理治療施設へ

中学2年生の阿部さん 出典:CHANTO WEB

4回目の一時保護の時に、児童心理治療施設への入所の可否が家庭裁判所で審判が行われました。

児童養護施設ではなく児童心理治療施設だった理由は、東日本大震災のPTSD症状で、心理的ケアが必要と判断されたためだったそうです。

児童心理治療施設では80名ぐらいの子供達がおり、みんな仲が良く、遊具を使ったり鬼ごっこをしたりとグランドを走り回っていた阿部さん。

ただ、阿部さんはこの児童心理治療施設での入所更新の際に、親に虐待をしていない証拠動画を撮らされたといいます。カメラに向かって「ウソをついてごめんなさい」と謝罪し、その動画が虐待をしていない証拠として提出されました。

結局阿部さんが施設の職員に「親に謝罪の動画を撮影された」と打ち明けたことで無事に家庭裁判所で入所継続が決定されました。

阿部さんが児童心理治療施設で過ごした中学生活の3年間を“一番自分らしくいられた3年間”と、現代の女性が直面する課題や解決方法を紹介するメディア「CHANTO WEB」の取材で語っていました。

中学卒業と同時に親元へ戻る

親とたくさん話をして高校進学が決まった阿部さん。しかし施設の予算の関係で、施設から通学することができませんでした。「施設に残りたい」と訴えた阿部さんでしたが、施設の最終目的「家庭に戻すこと」という事もあり、結局進学を機に家庭復帰することになります。

自ら行動し5回目の一時保護

しかし施設を退所してから2週間後ぐらいには義父から身体的、心理的虐待がまた始まってしまいました。自宅にいるのがほんとうにつらく、毎日3時間ほどしか寝る事ができず成績不振も続きました。

ある日限界を感じた阿部さんは自分で児童相談所に行く決心をします。

自転車で標識とバスの停留所名をたよりに40分かけて児童相談所に到着した阿部さんでしたが、施設の警備員に「もう閉所してるから今日は我慢して明日来てください」と言われてしまいます。

大泣きしながら警備員に訴えた阿部さんでしたが、それでもダメでいったんあきらめました。しかしどうしても家に帰るのがイヤで別の児童相談所に数時間かけて行き、「助けて下さい!」と必死に訴えかけました。

そこでどうにか保護してもらえることになったといいます。時間はすでに夜の10時ごろでした。

自立支援ホームへ

児童養護施設は年齢制限が18歳未満で、当時16歳だって阿部さんは高齢児保護となり、退所まで2年しかないことから児童養護施設への入所のハードルが高かく、自立支援ホームに入所することが決まります。

両親は親権が2年間停止となり、阿部さんは自立支援ホームで1年、里親家庭で1年を過ごしたのち高校を卒業しました。

里親家庭の時期はちょうどコロナ渦もかさなって阿部さんはしんどかったといいます。行動も制限されてどこにも居場所がないと感じていたそうです。

奨学金で大学へ、親元を離れ自立

高校卒業後は奨学金制度を活用し福祉系大学に進学した阿部さん。5回目の一時保護の時に高校の担任の先生から「社会福祉士」を勧められ興味をもったそうです。

また、社会福祉士に興味をもった理由について阿部さんは“一時保護所では本当に過酷な生活だったので、理不尽なルールを見直したり、子供達に適切な支援を届けられるように制度を改善したいと思うようになった”と語っています。

現在はすでに社会福祉士の受験に必要な条件は全てクリアし、親元を離れ自立した生活を送っているそうです。

彼女の原動力は?

現在は大学生 出典:CHANTO WEB

現在はさまざまなメディアや媒体で精力的に情報発信している阿部さんですが、彼女はメディアに出演する理由を、「CHANTO WEB」の記事の中で次のように語っています。

「自分がメディアに出演することは母親への復讐」

阿部さんが実の母親や義父から受けた虐待の話しを発信することで、親にも同じように苦しんでほしいと思ったそうです。母親は虐待を今でも否定しているようですが、自分のやってきたことを現実としてわかってほしいと語る阿部さん。

ただ距離をおいている今は、少し気持ちがやわらいでいるのを感じているようです。関係が修復したわけではないですが、現在も連絡はとっているとのことでした。

今後の目標

阿部さん(右端)ドキュメンタリー映画のメインキャストとして出演 出典:CHANTO WEB

阿部さんの今後の目標は海外に移住することだそうです。

多様な価値観や考え方が尊重される国で暮らしたいようで、まずはカナダで暮らしてからスウェーデンで人生を終わらせたいという夢があるそうです。

スウェーデンは税金が高いですが、自分にもしっかり返ってくるほか、福祉が充実していて幸福度が高い国なので、そこで自分らしく自由に暮らしていけたらいいなぁとのことでした。

まとめ

穏やかな笑顔の阿部さん 出典:CHANTO WEB

今回は児童虐待によって5回も一時保護所された阿部紫桜(あべしおん)さんを特集しました。

震災を機に生活環境が大きく変わった阿部さん。幼い阿部さんには辛すぎる体験だったと思います。そしてそんな彼女を突き動かす原動力は「母への復讐」といのもわかる気がします。しかし…

阿部さんは「CHANTO WEB」の取材の中で「トー横キッズ」について次のように触れていました。

「トー横の子供達は警察や行政に頼っても家庭に戻されるためあきらめている子が多いように思う」「自分をわかってくれない、どうせ助けてくれないと大人への不信感がある」だから少しでもそういった子供達の手助けがしたい

そのために社会福祉士の資格取得を目指して大学で勉強しているとも語っており、この想いこそが阿部さんの原動力ではないかと考察しました。

最後に、「CHANTO WEB」の取材の質問で、「自分を褒めるとしたらどんな言葉をかけますか?」という質問に対して、阿部さんの答えを書いてこの記事を終わりたいと思います。

「よく生きてきたよなぁ」…でしょうか。「よくがんばった。今までいろいろな人生の谷を経験してきたけど、もう今までみたいな谷は現れないと思うから。これからもがんばろうな」と自分を褒めたいです。

最後に、阿部紫桜さんのX(旧Twitter)で公開されている阿部さんの画像です。@its__my__candy

最後まで読んで頂きありがとうございました。

<参考>
CHANTO WEB
阿部紫桜X(旧Twitter)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)